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藤村龍至参考資料(その3)

今朝ネット回線が繋がったのですが、設定がまだなので大学のPCで更新しております。
できれば今日でひととおりまとめたいけど・・・。

71年以前の建築家の、現代都市に対する考え方から藤村龍至の主張は見えてこないだろうか。

CASE1
山本理顕(地域社会圏)
・今の社会的システムに「欠陥」がある(1家族=1住戸、)
現在の都市計画は1920年頃の近代建築的な計画を踏襲している。(参考:輝く都市等
1家族=1住戸システムは20年代に提唱されたシステム
それ以前は1つの住戸に複数の家族が住んでいた。

標準化された住宅、標準化される家族。
住宅の商品化が進む
→・住み手のための住宅から売り手のための住宅に
 ・住宅システムの崩壊は国のシステムの崩壊だ

建築家としていかに、(不適切な)現在とは違った社会システムを提示できるか

というあたりが山本理顕の問題意識で
それを解決するための「地域社会圏システム」は
・100m四方で400人ぐらいの規模(多少ゆとりがある程度)
・場所は郊外でも漁村でもどこでもいい(あくまで単位が重要)
・コンビニ1つ置くのにちょうどいい規模
・(エネルギー)コストについても考えている
・地域社会で個々人がサポートしあう

等の特色があります。
この実現例(公団住宅だから妥協はしたが)として
・東雲キャナルコート1街区
また、戸建て住宅として
・ドラゴンリリーさんの家
が紹介されている。
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藤村龍至参考資料(その2) 超線形プロセス

予定より時間が遅れましたが、真夜中の更新です。

さて、藤村龍至の設計手法に「超線形プロセス」なるものがあります。

<線形と非線形>
数学的な話を避けて乱暴に説明すると、線形とは、
・直線または直線に近い性質をもつもの
と考えてもよいでしょう(相当乱暴な説明です。申し訳ない。)

ユリイカの09年6月号(コールハース特集号)に線形、非線形、超線形について書かれた項目があるので
それを参考に載せます。

線形的な設計方法とは、
敷地、法律などの条件を設計の条件として組み込んで、新しい形を生み出す。例えば
Aというプランがあり、そこにBという条件を組み入れる。
そしてプランA’が生まれるという方法が線形的な設計プロセス。

非線形な設計方法とは
何の脈絡もなく突如として建築の設計が立ち上がる方法
例えば、コールハースの例では違う設計で作ったプランの移植が上げられている。

前者の方法で設計すれば、論理的に「説明できる」建物が生まれるが、作家の芸術的神秘性は失われる。
後者の方法は、作家の神秘性は生まれるが、論理性は薄い。

固有性を出そうとすれば、線形プロセスに近くなるし
効率性を求めるなら、非線形に近くなる。

藤村龍至の問題意識は、おそらく
・郊外化(と本人が述べているもの)が現在進行しており、そこに人々の意識を向けること
・都市郊外の味気ない建築を濃密な物にしたいと思っている。
この辺りかと思われる。
藤村龍至は郊外化しつつある事実、経済性に基づく都市は受け入れつつも、固有性を両立させるために
「超線形プロセス」を提唱する。

線形のプロセスを連続かつ、高速に繰り返す事で速度(経済性)と固有性を両立させるというのが大まかな趣旨であり
Kにおいては構造家、設備家、藤村龍至の3人によってこのプロセスを用いて設計が行われた。

続きます。
(べっしー)

藤村龍至参考資料(その1)

さて、みなさまこんにちは。
べっしーは話が苦手なので、自分の考えを明確にすべく、
レジュメらしきものを先にブログにUPしておこうと思います。
細かく区切っていくので読みにくいかもしれませんが、そこはご容赦を。

この資料を作成しているときに、「先に藤村龍至の主張や理論を纏めた方がいいんじゃない?」
って思ったんだけど、途中まで資料を作成していたし、ひとまず情報を提供しておいてもいいんじゃないか
という事で、先にBUILDING Kについての資料をUPします。
(理論→作品の方が分かりやすいんだけどね。)


藤村龍至のここ最近の文献を見る限りでは
「BUILDING K」(以下K)がかなりの頻度で出てくる。
Kは藤村龍至の考えを表明するマニュフェスト的な作品であるのではないだろうか。

藤村龍至によればKの設計では
・間口3mの建物が多い街に巨大な建物をどう接続するのか
・都市型賃貸ワンルームというライフスタイルにどのような空間性を確保できるか
というのがスターティングポイントになったと述べている。

そして、長期間使える集合住宅という事で、設備を重視し、そこからメガストラクチャーの構想が生まれたとの事である。
(メガストラクチャー:正方形の頂点にあたる4点に柱を建てて、それらを束ねて1つの柱にする)

新建築の08年8月号を見た限りでは、藤村龍至の主張する「超線形プロセス」は述べていないけれど
Kの作り方としては
初期条件、藤村龍至のスタンスがまず始めにあって、そこから法律だとか、コストだとか、不動産の論理だとか
そういう要素を加えていく事によって設計のスピードを上げる、複雑な条件を組み入れようとしている。

ひとまず、次にまとめていきたい物は
・超線形プロセス
・藤村龍至の問題意識
 (都市の一つ一つの建物を濃密にするほど都市が良くなるという意識の理由、郊外化について)

次は夜に更新しまする。
(べっしー)

余談ですが

まずはお知らせを

べっしー所属の神戸大学建築学科の卒業制作展にて
藤村龍至氏と宮本佳明氏がゲストとしていらっしゃるそうです。

日時:4月17日(土)
時間:13時ー16時
場所:原田の森ギャラリー(最寄り駅は阪急王子公園)

卒業生の作品の批評が主になると思うので、藤村氏自身のお話は無いかもしれませんが
興味のある方はいかがでしょうか。

『ラスベガス』予習

ラスベガス (SD選書 143)ラスベガス (SD選書 143)
(1978/01)
R.ヴェンチューリ

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■キーワード1: 象徴主義(シンボリズム)

ラスベガスは本書の主題ではない。建築の形態の象徴性がそうなのだ。(19p)

著者がこのように述べるように、この本はラスベガスの都市調査の結果をもとに、近代建築で無視されてきた、建築における象徴主義の重要性を説いている本です。

初期モダニズムの建築は、多くその形態のネタ元を工場や穀物用エレベーターなどの工業建築にとってきました。しかし近代建築家はそのことを認めていません。なぜなら、近代建築においては、建物の形態は純粋にその建物に求められる機能に基づいて決められるべきであり(機能主義)、近代建築の形態が工業建築のそれを模しているというのは、機能主義に矛盾するからです。その結果、近代建築家は建築に働くイメージの連想作用の効果(=象徴性)を無視してきました。しかし同時に、工業建築や機械のイメージを参照したことで、「工業建築・機械は機能的である」→「近代建築の形態が工場や機械に似ている」→「近代建築は機能的である」という連想作用が発生してもいたのです。

60年代、既にCIAM(近代国際建築家会議)が崩壊し、コルビュジェ、ミース、グロピウスといった近代建築を切り開いてきた巨匠たちが相次いで亡くなった時代に、近代建築家たちは初期近代建築――20世紀初頭の工業建築を形態のネタ元とした建築――を形態のネタ元として建築をつくっていました。そして一方で、初期モダニズム以来の(機能主義を理由とした)象徴主義の否認が、依然として受け継がれていました。ヴェンチューリらは、ラスベガスの都市リサーチをもとに、建築家のこのような態度が現代に即していないことを訴えます。

建築家は建築における象徴主義の効果を認め、自覚した上で建築をつくるべきである。この本の主張はこの一言にまとめられます。改訂版の出版時に付けられた副題“The Forgotten Symbolism of Architectural Form”(「建築の形態の忘れられた象徴主義」)はその点をまさに集約している。

そして、象徴主義の重要性を説いた帰結として、図像学(イコノグラフィー)への関心や装飾の問題が立ち上がることになります。

■キーワード2: 「あひる」と「装飾された小屋」
あひる・装飾された小屋

「あひる(DUCK)」は「空間、構造、プログラムからなる建築のシステムが、全体を覆っている象徴的形態によって隠し込まれ、歪められている」建物、「彫刻になりかけている」建物、

「装飾された小屋(DECORATED SHED)」は「空間と構造のシステムがプログラム上の要請に無理なく従い、しかも、装飾がそれ自身他のものと無関係にとり付けられている」建物を指します。(119p)

前提として、近代建築においては、装飾が否定されてきました(→アドルフ・ロース「装飾は罪悪である」)。機能主義に則り、建物に必要とされる機能に応じて形態が決定されると、基本的に装飾は機能とは関係ないので、排除される傾向にあった。

次に、象徴主義=視覚的な情報による連想作用は、いかなる建物にも不可避的に作用します。建築の象徴性を無視してきたモダニズムの建物にも、何らかの象徴性が備わってしまうことは避けられない。だから、プログラムに従って純粋に機能的な構築をしているつもりでも、そこに象徴性がノイズとして入り込んで形態が複雑化してしまう。近代建築において不可避的に働いていた象徴性は、工場や機械に由来する技術的・機能的なものでしたが(キーワード1)、それらの要素は実際にはその建物にとって機能的でないことが多いと、ヴェンチューリらは言っています(184p)。そういう本末転倒な事態が起こっている。これが「あひる」です。

それに対してヴェンチューリらが提案しているのは、象徴性を担う装飾を構造から分離させようということです。そうすることで本体がシンプルな形態に収まる。ヴェンチューリらはこのような装飾と建築の関連付けをラスベガスのロードサイドに見出し、「装飾された小屋」と呼んでいます。

ちょっとわかりにくいですが、要点としては、近代建築家たちは抽象的な空間の造形に気をとられる余り、建築を彫刻(=「あひる」)にしてしまった。しかし、本来建築はシンプルな覆い(シェルター)でなければならない。単純なシェルターに装飾をつけたものが「装飾された小屋」である、ということです(「彫刻」の例えには、近代建築運動が一部の人々に占有される高尚な芸術となり、本来の「たてもの」としての面が忘れられているという含意があるようにも思えます)。別のところでは、「形態は機能に従わなくていいが、機能はなくちゃならん」とも言っています。

ヴェンチューリらは、この構図を提示した上で、当時の典型的な近代建築家ポール・ルドルフの作品「クロフォード・メナー」(「あひる」)と、自分たちの設計した「ギルド・ハウス」(「装飾された小屋」)を比較しています。(122p)
さらに、《あひる=巨大構造=含蓄の連想作用》と《装飾された小屋=都市スプロール=明示的な連想作用》を対比しています(もちろん後者の系を評価します)。
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ほんちく!!

Author:ほんちく!!
関西の大学生やら大学院生やら建築系やら文系やら忙しい人やら暇人やらが参加している、建築関係の読書会です!
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