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第5回(3/23) ロバート・ヴェンチューリ『ラスベガス』レジュメ

■ロバート・ヴェンチューリ他『ラスベガス』(1972年、改訂版1977年)
(原題 Learning from Las Vegas: The Forgotten Symbolism of Architectural Form)

RV.jpg

あひる・装飾された小屋

■参考:60年代~70年当時のモダニズムをめぐる文脈・情勢と社会

①モダニズムの普及(1930年代~)
 ○機能主義(サリヴァン「形態は機能に従う」)
 ○装飾の排除(ロース「装飾は犯罪である」)
 ○普遍性(≒国際性?)の追求
  ・CIAM(近代建築国際会議、28年)
  ・グロピウス「インターナショナル・スタイル」(25年)
  →ジョンソン、ヒッチコック(32年)
  ・ミース、グロピウスのアメリカ移住・教育

②モダニズムの黄昏(60年代)
 ・CIAM崩壊(1956年)
 ・コルビュジェ、ミース、グロピウス、ギーディオンの死

③60年代頃の社会情勢
 ・構造主義の台頭(世界を文節する要素の相互関係を強調→コンテクスチュアリズム)
 ・68年の五月革命(→ヴェンチューリ「非革命的」)
 ・アメリカン・ポップアートの隆盛(ウォーホル、リキテンスタイン、エドワード・ルシャ→商業ヴァナキュラーの利用)

■『ラスベガス』構成

本書の第一部は、コマーシャル・ストリップの建築についての私たちの研究の叙述である。第二部は、第一部において得た知見にもとづき、建築の象徴性と都市スプロールの図像学を一般化しようとしたものである。(10p)

既存のアメリカのアーバニズムを分析することは、建築家が市街地再開発や新しい開発計画を行なう際に、より深い認識にたち、より権威的でない態度を作り上げるのに役立ち、結果として社会的に望ましい行為となりうるといえるのである。加えて、以下に分析される商業的な誘いかけの手法とか、並び立てられたサインなどが、市民または文化の向上という目的に役立たないとも限らないのである。(27p)


■象徴主義
 ・建築にとって象徴性は不可避である
   →イコノグラフィー(図像学)

■あひる/装飾された小屋
あひる=「空間、構造、プログラムからなる建築のシステムが、全体を覆っている象徴的形態によって隠し込まれ、歪められている」建物。それ自体象徴的な「彫刻になりかけている」建物。

装飾された小屋=「空間と構造のシステムがプログラム上の要請に無理なく従い、しかも、装飾がそれ自身他のものと無関係にとり付けられている」建物。装飾のついたシェルター。

■ヴァナキュラー(その土地固有のもの)
 ・ポップアートからの影響
 ・後期コルビュジェのモダニズムからの逸脱(ラ・トゥーレット、ロンシャン)

レム・コールハースによる問いかけ↓

重要なのは、お2人の著書にはイコノグラフィーは特定の場所のもの、つまりアメリカのものでなくてはならない、と宣言されていることなんです。そういうイコノグラフィーがない場合は、何に頼ればいいんでしょう?
(コールハース&オブリストによるヴェンチューリ&スコット・ブラウンのインタビュー、「建築文化」2003年4月号)


■メガストラクチャー/都市スプロール(郊外化、自動車の速度)
 ・「(近代)建築家にとって、囲われた空間は非常に扱いやすく理解しやすい」(29p)
 ・「既存の商業建築を高速道路のスケールにおいて把握しようとする私たちの試み」(28p)
 ・商業主義によって洗練されたラスベガスの〈ストリップ〉、カジノの空間設計→工学化?

■建築家としてのヴェンチューリの態度

○建築の社会的役割の問い直し?→プラグマティズム
  ・「いかに建設されるか」と「いかに見られるか」(→167p)
  ・作り手視点から使い手視点へ
   (→モダニズム躍進の正当性を為す社会的要請と矛盾)
   (→アーキグラム批判)

多くの人が郊外を好んでいる。これがレヴィットタウンを調査して得た結論である。たいへん皮肉なことにも、近代建築はその当初から、思想的には社会的基盤によっているのだとされながら、近代建築家たちは、社会的関心と形態的関心とを切り離して考えつづけてきた。(208p)

建築家は認めたがらないかもしれないが、建築に関するほとんどの問題は便宜的な方法で済むものだ。(…)大体、世の中は建築家が自分のユートピアを作るのを待っているほど悠長ではない。建築家の関心は、どうであるべきかという原則論にではなく、実際にどうであり、今後どうしていくべきか、という点に向けられるべきなのである。建築家は、近代建築運動の時代に比べると今日では、より些細な役割に甘んじなければならないのである。(167p)


○モダニスト/ポストモダニスト
  ・RVとポストモダニストの共通点=装飾の肯定、多様性の推奨、歴史主義、地域主義(?)
    →原理的機能主義者?

(自分たちは)歴史的なリバイバル主義を持ち上げたわけじゃないのに、ポストモダニズムの輩たちの解釈はまさにそういうことになってしまった。偉そうに言うわけじゃないが、フロイト自身はフロイト学派じゃなかったし、マルクスもマルクス主義者じゃなかったのと同じで、僕たちもポストモダニストじゃないんだ。自分たちをポストモダニストと呼んだことは一度もないし、その言葉を文章に使ったことさえない。僕たち自身はモダニストだと思っているよ。(RKによるインタビュー)


○大衆主義
  ・エリート主義?

近代建築は商業的ヴァナキュラーを遠ざけてきたのだが、といってそれに代わる特有の、進歩した、普遍的なヴァナキュラーが創り出されたり、広く用いられたりすることはなかった。つまりそこでは純粋な芸術と粗野な芸術との結びつきが嫌われただけにすぎなかった。(28p)

大衆文化から何かを学んだからといって、建築家がそれまでの高尚な文化の中にあった彼または彼女の地位を失ってしまうことはない。ただ、高尚な文化がもう少し現在の課題とか必要性に敏感になるように、変質をせまられるだけのことなのである。(212p)

アイロニーは、複雑な社会における建築の多様な価値を調整、統合したり、建築家とクライアントの間の価値の相違を融合させる時に、有力な手段となる。社会の階級差を乗り越えることは難しい。しかし、もし価値の多元化した社会において、建築を設計し、建設するという点に関し、一時的な同調を得ようとするならば、逆説、機知、アイロニーなどを理解する感覚が必要とされるに違いない。(213p)


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